概要
早稲田と感慨
現在、早稲田大学の本部キャンパス(早稲田キャンパス)・文学学術院キャンパス(戸山キャンパス)・喜久井町キャンパス、明治通りを挟み理工学術院キャンパス(西早稲田キャンパス)が所在する。早稲田キャンパスと西早稲田キャンパスの途中には学習院女子大学、北側の豊島区に日本女子大学、戸山キャンパス南側に東京女子医科大学、高田馬場駅周辺に専門学校が点在し、同地で学ぶ学生は多い。学生向けの下宿、飲食店、不動産屋、書店も多く店舗を構え、早稲田通り沿いを中心とする古書街は都内有数の規模を持つ。地場産業としては製本・印刷業が盛んであったが、現在ではその産業規模は縮小傾向にある。夏休みや春休み期間には人通りが大きく変わり、授業期間中のみ営業する飲食店も存在する。
「早稲田通り」とは元々、「田安門~保谷街道交点」という道路であった。しかし、1984年(昭和59年)に「田安門~井草八幡前に改正され現在の形になった。この改正によって指定から外れた「本天沼二丁目~保谷街道交点」の区間は、「旧早稲田通り」と呼ばれるようになった。更に、現在では東京都道8号千代田練馬田無線(富士街道)交差点~東京都道233号東大泉田無線(保谷街道)交差点の区間では「旧早稲田通り」の表示が全くされておらず、「旧早稲田通り」はどの地図でも本天沼二丁目~石神井台五丁目となっている。
1976年、会計を担当していた事務所職員が私的な株式運用のため3億円を持ち逃げしたことをきっかけに、1979年4月より早稲田大学の系属校となり、1982年卒業生の早大への推薦入学を開始(後にこの事務所職員は逮捕された)。推薦枠は学部ごとに決まっており、その合計は約50名だった(当時の卒業生は約350名)。推薦制度は他大の付属・系属10校の訪問調査と同志社・立命館・甲南などへのアンケート調査、進学の実態分析などを経て構成された。早大側の学部再編や定員枠の増幅により、幾度か制度要項が改訂され、現在のものとなっている。
財団法人早稲田奉仕園は、エキュメニカルな立場から学生寮事業、奨学金事業、国際交流プログラム事業、セミナーハウス事業などを行っている。また、園内には歴史的建造物である赤煉瓦造りのスコットホール(礼拝堂・講堂)があり、早稲田教会が礼拝を捧げている。さらに、早稲田奉仕園構内には、結婚式場アバコブライダルホール[4]、録音スタジオであるアバコクリエイティブスタジオ、日本キリスト教協議会、日本基督教団[7]などのキリスト教関係の団体・施設やNGOがある。
早稲田通りで趣味散策
個人的な主観になってしまうが、早稲田通りほどわたしの脳を刺激する通りはない。ただ歩いているだけで、飛び込んでくる風景が日々何かを語りかけてくれる。趣味といえばそうだが、どちらかと言うと作品を作る上でのインスピレーションを研ぎ澄ましてくれるのである。趣味は人それぞれ、何に依存していくか分からない部分が大きいが、こと私のこれまでの人生に限って言えば早稲田通りの近くに居を構えていたことが最大の出発点であるといえる。そういった心から打ち込める趣味をぜひ探して欲しい。
趣味一覧